ご挨拶
会社沿革
会社概要
杉田与次兵衛商店(すぎたよじべえしょうてん)は瀬戸内海沿岸に位置する港町 広島県の尾道(おのみち)にて、明治17年(1884年)に酢屋として開業致しました。以来今日に至るまで日本古来から伝わる醸造法を守りながら、時代のニーズも取り入れ、健康な体づくりに貢献するもの、毎日の「おいしい」に役立つものを造るべく努めてまいりました。
小さな会社ではありますが有機JASの認定工場として品質管理を徹底し、丁寧に造ったお酢を是非一度ご賞味下さい。
明治17年(1884年) 初代 杉田与次兵衛により杉田与次兵衛商店開業
大正2年(1913年)  二代 杉田佐吉
昭和22年(1947年) 三代 杉田隆司
昭和40年~41年頃   無農薬米を使用し純米酢を製造
昭和55年(1980年) JAS認定工場となる
昭和63年(1988年) 杉田与次兵衛商店有限会社を設立
平成9年(1997年)  四代 杉田隆一
平成14年(2002年) 有機JASの認定工場となる 有機米を使用し有機純米酢を製造
平成27年(2015年) 五代 滝澤 彦胤
尾道は広島県東南部の瀬戸内海沿岸に位置する港町で、室町時代より商都として発展。花崗岩質の山を背後に抱える地形で、発酵に良い水質(中硬水)と温暖な気候もあり、古くより酢造りの盛んな街でした。江戸時代には北前船の寄港地となり、畳表や酒と共に日本海沿岸にまで尾道酢が運ばれたといいます。大正期の尾道酢は全国トップクラスの生産量で、尾道市内には多くの製酢業者が存在していました。
杉田与次兵衛商店は初代与次兵衛により明治17年に開業。
初代と二代についての記録はほとんど残っていませんが、地道に製造をすすめ、得意先を少しずつ開拓していきました。
太平洋戦争中には後に三代目となる隆司はもちろん、従業員も出兵したため休業せざるを得ない状況に追い込まれました。しかし終戦後、無事帰還した三代目により、なんとか製造を再開。やっとできたお酢を酢ビン(斗ビン)につめては荷車に載せ妻と共に売り歩き、少しずつ会社を軌道にのせていきました。

昭和40年ごろまで使用していた酢ビンの前に座る三代目と妻

昭和初期の従業員さん

会社玄関前にて
特に力を注いだのは、日本古来の醸造法である静置発酵法(せいちはっこうほう)での製造。試行錯誤を重ね、米本来の旨みとまろやかでツンとこない高品質なお酢の製造に心血を注ぎました。
昭和40年頃には、より安全な米酢の製造を目指し、無農薬の米のみを使用したお酢の製造を開始。
昭和55年にはJASの認定工場となりました。

米を厳しくチェックする三代目

静置法に奮闘する三代目
四代目では、先代から受け継いだ静置法を守りつつ、より安定した品質での製造に主眼をおき、必要な設備の整備をすすめました。
また時代のニーズに合わせ、あらかじめお酢以外の調味料が調合されている酢(調味酢)や飲料用のお酢を開発。市場には安価な酢が数多く並び、苦戦を強いられる状況でも、添加物や化学ダシは使わないという事にこだわり、丁寧な商品造りを貫いています。
また、地産地消を大事にしたいとの願いから、地元尾道の果実や、広島県の米のみを使用した商品の開発も行っています。
平成14年には有機JAS認定工場にもなり、手間を惜しまず「安心・安全・おいしい」を追求した精神は開業から130年以上経った現在に受け継がれています。

北海道産昆布を切り分け、コブだしをとる

尾道が発祥の地である果実「ハッサク」を丁寧に絞り、ポン酢を造る
参考資料:『尾道産業会議所記念館第8回企画展示 ~尾道の酢~』
     『尾道酢の経営学』広島県立大学共同リポジトリ(2008年)